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山本 七平

文芸春秋

カテゴリー:Book

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カスタマーレビュー

日本人を呪縛する最高法規「空気」に科学的・論理的光を当てる良作  (2008-07-20)
他の山本七平氏の著作同様、読んでいて日本人の一員である自分自身を覆う壁を一枚一枚、冷撤な論理によって剥がされつつ、反論の余地なくその正体を暴かれていくような複雑な気持ちになった。
日本人論の大家と言われる氏の著作からは、常に何らかの貴重な知恵を与えられる。読んで得こそあれ損はないだろう。特に日本の各界のトップや経営者、中間管理職にとって自分自身の思考・行動を決定さす正体不明の呪縛(正体がわからない規範だからこそ、まさに「空気」支配は「呪縛」と言いうるであろう)、その妖怪の存在とその輪郭を把握さえできれば、将来の危機的状況から自分自身の所属する集団を救うことができるかもしれない。
また、日本の企業・学校その他の組織に加わる外国人の方々にとっても、日本で暮らし、働く上で思いがけない災厄を避けるため非常に有益な示唆を与えてくれるだろう。日本では、一旦「空気」という言葉が意思決定の根拠に使われれば、たとえそれがいかに合理的根拠に欠けたものであると感じても、それに唯唯諾諾と従わなければ著者のいうように「抗空気罪」という不文律の極刑に処され、下手をすれば組織の中で抹殺・軽くて村八分にされる危険があるという事実を、よくも悪くも知っておいて損はない。日本企業による外国人の入社研修プログラムなどにそのことを組み込むべき様に思える。そうでなければその従業員が可哀そうだ。
逆に、日本で幼年期〜青年期を暮らした日本人にとっても欧米等の企業・組織に加わる前に読んでおいても損はないと思う。なぜなら、今まで日本の風土の中で断片的に叩きこまれ、その規範に束縛されていることすら意識できない程に身に染まっている「空気」支配の価値観を外国に持ち込めば、「簡単に“ムード”(空気)に流される使えない奴」というスティグマを押されて場合によっては職を失うか思いがけない冷遇を受けるかもしれない。それを回避するための多くの示唆を本書が与えてくれると思われるからだ。
本書は、日本人独特の「空気支配」(ただ、多くの日本人はそれがあたかも「人類普遍の原理」のように錯覚しているように思える)というタブーに初めて科学的・論理的分析の光を当てた傑作であると思う。著者はその支配からの具体的な脱却方法までは示してくれず(示唆はあたえてくれている)、じゃあ日々の現場で対応している小生含めた庶民がどのようすればよいのか、というう課題は残る。しかし、脱却の前に呪縛の正体を自覚ことがまずは先決であろう。
本書が発表されたのが戦後30年、そして更にそこから30年を経た今、氏が指摘する空気支配は弱まったのか、強まったのか?KYなどという言葉に代表されるように寧ろ強まっているのではないか。「空気支配」発動の要件の一つとして著者が上げる“物体への臨在的把握”等がなくても、空気支配は簡単な善玉・悪玉よりわけの論法だけで日本人から相対的思考を奪い、絶対的空気支配を発動させ得るようになっているように思える(著者が30年前に底が浅いだけに危険性が低いと語った人為的醸成による空気でも、容易に強固な空気支配が完成しうるように思える)。
小生は、必ずしも日本人の特徴の全てを自虐的に否定する必要はなく、誇れる部分はどんどん世界に誇るべきであると思うが、この空気支配は日本人の弱点の一つとして、脱却・克服されるべきように思う。簡単に達成できることではないであろうが、将来いつの日か、日本人が「空気」に警戒の姿勢を見せる風習を身に着け、本書を見て「何で山本氏は空気の危険性なんてあたり前のことを、こんなに全力投球で一生懸命語っているんだろう」と言えるようになる日が来ることを誰よりも故山本七平氏が一番望んでいるのではいだろうか。

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■日本人による日本人論の最高傑作!  (2008-04-19)
・”空気”それは、絶対権力のように驚くべき力で、あらゆる論理や主張を超えて人々を拘束するものである。
・その日本人が支配される”空気”のメカニズムについて分析されています。 結構古い本なのですが今読んでも全く古さを感じさせず、本質をえぐっていると感じました。この一冊で山本七平さんの深さをまざまざと見せつけられました。他の著書も読まなければと思っています。
・本書の中では”太平洋戦争”や”公害=イタイタイ病”が取り上げられています。
・太平洋戦争はまことにお粗末な、特に軍指導部はどうしようもない無能者だったと思います。しかし、あの時も著書の中で分析されているように小学生でもわかる論理が通用せず、空気に支配され、玉砕してしまった。つまり、それから50年たった今もこの空気というものに支配される日本という国は何も変わっていない、わけなんですよね。
・最近でいえば、”地球温暖化”問題などが良いではないか、と個人的には思っています。例えば学者に言わせれば、現在は地球の長い歴史からみれば準氷河期である。いくつも例が挙げられますが、一例を。IPCC(気候変動に関する政府間専門家パネル)の報告書では南極の氷が溶けることによって海面は下がると書かれているのに、それを日本の不勉強なマスコミが大騒ぎ、既得権益を増したい環境官僚が意図的にデマを流し、多くの日本人は”空気”支配されている。そのあたりは中国問題についても、従軍慰安婦問題についてもいえかもしれない。
■空気に支配されてないようにするにはどうすれば良いか?それは対象を相対化することに尽きる、と書かれている。

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個人感情の集積により「空気」が形成され絶対化する  (2007-12-07)
それに対抗する、方策を日本人は近代で失ってきた。
著者のこの視点は、極めて独創的で名著として長く残るのも当然である。
ただ、「日本では真実を口にすると嫌われる」あるいは「殺される」ため、著者も当時は言及できなかったことがある。

戦艦大和特攻は、レイテ海戦で突入成功寸前に日本艦隊が反転撤退をしたタメである。
温存した最後の主力をかきあつめ、武蔵をはじめその半数近くを米軍の猛攻で失いながら、決戦の最後に逃げた日本海軍の不名誉を消すため、旗艦大和を物神化してツメ腹切らせたのが大和特攻である。大和は生き恥をさらしてはならなかったのだ。

著者はフィリピンで地獄の体験をした。なのにレイテ海戦のことは奇妙にも書かれていない。
空気の支配がどれほど恐ろしいかの一つの例と思われる。

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空気とは物質の悲惨さの臨在的把握である  (2007-10-22)
 空気とは何か、われわれ日本人が言葉ではなくその場で感じる場の雰囲気みたいなもので、空気読めないも空気が許さないもその用法で使われている。遺影デモであろうが御真影であろうが、人骨処理で気がおかしくなろうが、ただの物質に対する物神論であり、物質の背後に悲惨を臨在され、その臨在的把握を絶対化することにより空気支配が可能なのである。
 日本にも欧米にも静かに横たわる例えば十二星座とか精霊というアニミズムはありますが、欧米のように絶対的価値観を許さないというヨブ記のようなものが記される世界では、日本の物神論のような空気に支配される世界は成り立ちません。一歩間違えば滅ぼしたり滅ぼされたりの世界では空気支配の芽がないわけではないが、空気支配をなくそうとして実際相対化することによって無くしてきただけです。例えばヨブ記流に行くと、正直者はバカを見ない世界でありたいは、逆に言えばバカを見るものはみな不正直なものなのか、正しいものはみな報われるは、逆に言えば報われなかったものはみな不正を働いたのか、社会主義社会はみな能力に応じて働き、働きに応じて報酬が支払えるは、逆に言えばみな能力があるのか、報酬が少ないものは、報酬が少ないという苦痛のうえに、無能という烙印を押されるのか、という考え方になるが著者の意見です。思想が絶対化されることなく相対化された、絶対がないつまり絶対に正しいがない、という社会でないのが日本社会です。つまり日本社会とは舞台の演技者と観客が閉鎖された空間で空気を作って情報を統制して秩序を形作っているのであり、演技者は観客のために真実を黙ることによって隠し、観客が演技者のために真実を黙ることによって隠す状態なのです。 それは天皇と国民、父と子の関係、会社と社員の関係でも同じです。
 つまり固定倫理とはいかなる状態でも、思想でもリンチは絶対悪であるというのと、情況倫理とは苛烈な弾圧下にあったのだから、リンチがあっても仕方なく、その情況を作ったものが非難されるべきであるというのと、辻褄の合わない論理というのがたとえそのような情況下にあっても、リンチはなく、それは反共の言うことである、ということです。それはリンチだろうが戦争だろうが絶対悪なのであり、どんな勢力であれ非難されるべきなのです。

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もう「KY(空気読めよ)」とは言わせない  (2007-10-22)
議論の方向を決定してしまう、日本独特のもの「空気」について考えた本。
「空気」によって、本来自由なものがなぜか封じ込められてしまう。
「空気」に抗するには、並大抵でない努力と覚悟が必要である。

そして、空気に乗せられてしまうと、いつのまにか大失敗へと行き着く。
その失敗の責任はうやむやのままである。

「空気」に支配されているような状況では、議論もまともに出来ない。
先に都合のいい「空気」を作ってしまった者の意見が通るに決まっているのだから。

これは私見だが、「空気」というのは(特に戦後は)、倫理的側面に出やすいと思われる。
つまり、「こういう行動が倫理的(進歩的)なのだ」みたいなのがいつの間にか作られており、人々はその中で踊らされている。
それに抗するものは「反動」「とんでもないやつ」というレッテルを貼っておけば十分となってしまう。(「いつか来た道」「戦争賛美」などの類や、「権力の手先」みたいなのもその中に含まれるだろう)


そういえば最近、「KY(空気読めよ)」という言葉が流行っている。
ただ、裏を返せば、そういわざるを得ない状況、つまり「空気の読めない行動」が多発しているということだろう。
そう考えると、そろそろ日本の「空気」支配も消滅に向かっている、そういういい兆しなのだろうか。

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