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みすず書房
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レビュー(Amazon.co.jp)
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?『Culture and Imperialism』(邦題『文化と帝国主義』)は「ペンは剣よりも強し」を見事に実証した1冊。著者エドワード・サイードが鋭い文芸批評を通じ政治学の基本を説いた名著である。その中で明らかになるのは、植民地支配の最も効果的手段として、政治経済のみならず「文学」をも利用した西洋帝国主義の実像だ。 ???著者は19〜20世紀の西洋における小説およびマスメディアのテーマを「植民地支配の武器」という観点で検証、さらにそういった帝国の支配に対して「被支配者たち」が見せた言語による文化的抵抗を鮮やかに分析している。前述の「ペンは剣よりも…」を考え出したのがビクトリア朝時代のイギリス人ブルワーリットンだったのは単なる偶然ではない、とサイードは主張する。 ???言語による治世学ともいうべき方法論を考察した、ポストコロニアルのバイブル的1冊。 |

カスタマーレビュー ![]()
骨の髄まで植民地人だからこそ
(2005-10-26)
翻訳書の前半部を再読してみたが、やはり、文化の脱植民地化をテーマ化した名著だと言わざるを得ない。ただし、初学者には難解なので注意をしておく。それは、歴史学専攻の研究者によくある誤解とは異なって、本書は文学における「帝国意識」の解析をしようとしているのではないということだ。「帝国意識」論ならば、もっと読みやすい通俗的小説を取り上げて批判すればよい。(たとえば、一連の木畑洋一の書物。なお、杉本淑彦『文明の帝国―ジュール・ヴェルヌとフランス帝国主義文化』山川出版社も読みやすい)。しかし本書は、買弁ブルジョア階級に産まれた植民地人が、自らの知性の根幹にもなっている西欧の古典芸術の批判を目論むプロジェクトなのである。シェークスピアやディケンズ等を読みながら育ち、骨の髄まで英国流植民地教育に侵されているからこそ、今なお偉大な文学や芸術作品であると評価する西欧の芸術作品を批判するのである。もちろん、偉大な古典文学なのだから、サイードにとって単なる帝国主義や植民地主義の道具ではありえない。つまりは、一種の自己批判によって、脱植民地的な視座に至ろうしているわけなのだ。、
必然的に、植民地世界をよく描いたと思われるキプリング『キム』やコンラッド『闇の奥』のような作品についての文章は、情熱がこもってくる。逆に、この英文学者は仏文学をあまり好きではないのか、評価が低い。とくにカミュ『異邦人』に対しては一方的な批判ばかり目立ち、判りやすいが出来の悪い評論文になっている。これでは、「帝国意識」論とほとんど同じ視座だ。
なお、植民地人の文学的営みについては、本書だけではわかりにくい。アッシュクロフトらの『ポストコロニアルの文学』青土社やRushdie, Imaginary Homelands: Essays and Criticism, 1981-1991 , Granta Booksをぜひとも併読する必要がある。

文系爺さんの戯言,ではすまない
(2004-12-19)
現在の世界各地の現実と,世界各地のさまざまな文学とを,行ったり来たり,重ねずらし,しながら,帝国主義を,境界を,民族主義を,本質主義を,さまざまを,糾弾し,その基を探し,読者を啓蒙していく。
政情や事変の具体的な出来事と,小説の読みとが,気ままに交錯する。まさに気ままで,硬い訳文とは逆に,実は,本人的には面白くって仕方なく,うひょひょ笑いながら語ってるところもありそう(だけに,勢いをもって読み進めた)。
しかし,そんなサイードが本書で語るのは,フィクションでも戯言でもなんでもなく,私の目の前の世界だ。
ただ,この文芸から入り,気づけば現実を語っている,その語り口は,戯言と紙一重。私はもう文化がどれほど世界を動かすのかについての実感をもてないほど,お金が動かす世界のイメージに教育されきっている。そんな読者が,どこまでこの語り口を受け付けられるのだろう。かといえ,それを外せばチョムスキー。これまた「陰謀マニア」のレッテルを貼られておしまいなのだろうが。
本書の啓蒙的態度に対して,じゃあどうしろと?,と思うが,サイードは,文芸の中や「コントラプンクトゥスだ!」の中へとするすると去っていく。己で考えい!ちゅうことやろうけど。
時に古典や教育に未来の夢を託すなど,お爺ちゃん的な一面も垣間見つつ,興奮のなか読了した。

芸術作品の矛盾を引き受けようとする文学批評
(2004-12-18)
サイードの主著であるが、いわゆる知識人論だとか、帝国主義イデオロギー論を期待すると、ちょっと躓くことになるだろう。あくまでも基調となるのは、著者の専門である文学批評なのだ。文学に関心がない人は手を出さない方が無難である。
この書で、サイードがしばしば強調するのは、自己を揺さぶり動かす他者(他者の文化)との出会いにおいて、超客観的なアルキメデス的な梃子の支点、利害や葛藤から自由な特権的解釈者は存在し得ないと言うことである。現実の観察者は、権力の後ろ盾を頼りにしたりしながら初めて可能になるからである。サイードが本書で評価を惜しまない二人の作家、コンラッドの『闇の奥』とキプリングの『キム』も、その例外ではない。彼らは高い芸術作品をつくりあげたが、同時に植民地主義的権力を前提に物語ることが可能だった。それを、サイードが見事に批判的に吟味することになる。ここで忘れてはならないのは、植民地主義の権力関係なくして、これらの芸術が生まれることもなかったということ。サイードのポストコロニアル文学批評は、その矛盾を引き受けようとするのである。彼が、様々な作家を褒めたり批判・非難したりするのは、そのためなのだ。
歴史学者の「帝国意識」論は、もっぱら粗野な偏見や尊大な思想を歴史に見いだす。しかし、文学批評家のサイードの仕事は、植民地支配を正当化するイデオロギーだとか、文化的偏見がテーマなのではなく、あくまでも、すぐれた芸術作品とみなすもののなかにある帝国主義あるいは帝国主義批判を論じることである。だから、良くも悪くも、かなり難しい書物になったのだ。

